みなさんが渾身の記事を投稿して
「いいね!」が0だった場合
『書いてストレスを解消してるだけ。』
『絡みを求めてないから気にしない』
というのは全て言い訳になってしまうからだ。
フェイスブックの場合、小学校の同級生に感動の再会
なぁーんていう懐かしさが魅力だから皆やるでしょ?
おおおぉぉおおおおおお!!!
『あいつ家族築いてるのか~』
『頭だけクリリンに似てきたな~』
『あっ女にしかコメントしてねーぞー変わってね~わ』
『ま、まさか…あ、あいつ同化する気だな?』
みたいな人間相関図までバッチリ描かれる訳だ
。゚(゚^Д^゚)゚。ギャハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
ところがそんな懐かしさもキュイのごとく一瞬で消えてしまう
数日後にはコメントやり合う情熱なんて互いに0だ。
いいね!をひたすら付け合うだけの関係に成り下がるのだ
オレのいいね!であいつは今日も有頂天!
そしてお返しにいいね!が飛んでくる。
なんだこの…暗黙なWin-Winの関係性は…。
『お中元、お歳暮はお互いに無しにしませんか?』
と両家で取り決める場合があるように…
『いいね!はお互いに無しにしませんか?』
とでも提案しようかね。
僕がフェイスブックを離れた原因は、【タグ付け】によるプライベート丸出し公開処刑機能だ。
例えば有給取った場合、その日の休みの行動が会社内へと筒抜けになる。
みんなで飲んでまーすにタグ付けされれば、誘わなかった友人に対して気まずさ100%。
人間関係をじわじわと崩壊させられる訳だ。
威厳もクソもあったもんじゃないぜ。
ただ、僕は気づいてしまった…。
『いいね!』とは…
『どうでもいいね!』の省略形だという事を…
そうだそうに違いない。
100歩譲って読みましたのサインってとこだろう。
世間体に縛られMAXパワーの半分も出せず
狂気なドラゴンボール愛は封印されていた。
場所を移し、狂気な愛は
アメブロの世界で封印が解かれた
ここはいいね!(・∀・)
常に100%のヨウヘイを披露できるのだから。